「あの花」「芝桜」で有名な、御花畑駅すぐそば一代技術士事務所です。
二十番岩之上堂から二十三番音楽寺に行ってきました。
日当たりの良い、のどかないちご農園の集落にあります。
二十番岩之上堂ですが秩父市街から見ると荒川の対岸にあります。
かつて巡礼者は荒川を渡し船で渡り、石段を登ると観音堂たどり着くそうです。
札所というスタンプラリーに渡し船があるのは一つの楽しみだったかもしれません。
二十一番観音堂ですが新しい印象のお寺です。
隣接する小学校の火災の類焼に遭ったそうです。
ストーブ火災が昔はよくあったと昔祖母に聞いたことを思い出しました。
このお堂には、矢乃堂というフレーズのあります。
縁起はよくわかりませんが矢に霊験があるようです。
二十二番童子堂ですが、そう呼ばれるのは、子どもを病魔から救う観音という
ことのようです。
子供に好かれる観音様なのか、仁王門の左右の仁王様は・・・
ふざけた顔・・・よく言えばかわいい・・・
一般的に仁王様は東大寺金剛力士像のようなイメージだと思うのですが・・・
このユニークなお寺の境内で昔の子供は遊んだのでしょう。
二十三番音楽寺ですが、ミューズパークの中腹にあります。
秩父盆地を一望できとてもよいロケーションです。
明治17年、生糸の暴落で農民3000余名が武装蜂起した秩父事件、困民党は
小鹿坂峠を越えてここ音楽寺境内に集結したそうです。
よく秩父盆地を見渡せるこの場所は戦いの前の集結の場としては最高だったことでしょう。
大宮郷(今の市内)へ乱入した時に田代栄助総理が乱打したという鐘も現存しております。
秩父困民党無名戦士の墓碑には「われら秩父困民党、暴徒と呼ばれ暴動といわれることを拒否しない」と刻されている。
良いか悪いかとかではなくやらなきゃならない時が人間にはあるものです。
彼らの気持ち少しだけわかる気がします。
さてここ音楽寺にはミュージシャンのポスターが沢山貼ってありますが、名前の由来はミュージックの音楽ではなく、秩父札所を開創した十三人権者がこの山の松風の音をきいた時、菩薩の奏でる音楽と感じたからと言われています。
秩父事件に触れることのできるよい経験でした。
一代技術士事務所 鈴木
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